2008年4月アーカイブ
4月27日の日曜日。糸魚川のビーチホールまがたまにて、糸魚川シチュエーションロードムービーズ主催による第一回上映会「オリヲン座からの招待状」が上映されました。
糸魚川に映画館が無くなり20数年、公共施設を使った映画上映は何度かありましたが、一個人のイベンターが行う上映会は初めてではないでしょうか?
上映された『オリヲン座からの招待状』は浅田次郎のベストセラー短編集「鉄道員(ぽっぽや)」の最終編に収容され、長く映画化が待ち望まれていた作品で、主演は宮沢りえ、加瀬亮。
昭和三十年代の京都を舞台に、時代に翻弄されながらも一軒の映画館を守り続けた夫婦と一人の青年のお話です。
代表の伊藤達也さんは「映画をエッセンスにすばらしい人生を送れる人を増やすこと」を掲げ、最終目標として「糸魚川に映画館を造る!」事なのだそうです。
その大きな目標の第一歩が今回の上映会です。
会場では彼の目標に賛同した多くのボランティアが駐車場の整備などを手伝っていました。
また、過去に糸魚川にあった映画館の写真を各方面に呼びかけて集め、ボードに掲載するなど趣向を凝らし、訪れた人を楽しませていました。
当時を知る方は「懐かしいですね。当時を思い出しました。」と感激した様子でした。
現在の市街地図に当時の映画館の配置を書き込み掲載していたボードでは、地図を指でなぞる方もいらっしゃいました。
今後2回、3回と上映会を続け、糸魚川に映画館の火を再び灯してもらいたいと思います。
次回の上映会も楽しみです!
雨のため一日延期となった今年の「能生 白山神社 春季大祭」
心配されていた雨もお走り前にはすっかりと上がり、1時間半ほどの遅れはあるものの祭りは午後の舞楽へと移ります。
前編でも記載したとおり、この舞楽は糸魚川けんか祭りの舞楽と同様、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
起源は定かではありませんが、室町時代から続く歴史有る舞楽とされています。
大阪四天王寺の舞楽に通じるものとされていて、この地に伝来する課程でその姿を変えたのではないかとされています。
舞楽は五人の稚児、四人の大人、そして楽人で構成され、全部で十一曲の舞楽が奉納されます。
特に稚児の舞いが八曲を占め、この日のために神社社務所で共同生活をしながら練習を重ねてきました。
舞台は境内中央、秋葉神社の向かいに正面を置き、お走りで御輿が納められた御旅所へと橋が架けられています。
舞人たちはこの橋を渡り中央の舞台でその舞いを披露します。
太鼓の打ち出しと共に14時45分頃に舞楽がスタートしました。
まずは稚児2人による「振舞(えんぶ)」。1人ずつ登場し、橋で鉾を受け取りゆっくりとした舞いで舞台中央へ進みます。
舞台の初を務めるこの舞いは、舞台のお祓いの意味も込められています。
紅白の衣装で頭には花冠を付けて舞われます。
その後「候礼(そうらい)」「童羅利(どうらり)」「地久(ちきゅう)」と稚児の舞いが続き、「能抜頭(のうばとう)」で初めて大人の舞人が登場します。
赤と黒の衣装で手には桴を持ち、顎髭をたくわえた赤い面を付けて舞います。
手に持つ桴(ばい)は武器を象徴しており、胡人が猛獣に噛まれ、その子が猛獣を探し求め、これを殺す型の舞いと言われています。
大きな動きで振る舞い、途中桴を置いて素手で舞う場面もあります。
続いては「太平楽(たいへいらく)」「納曾利(なそり)」。
「太平楽」は稚児四人で舞い、世の中の乱を治め、正しき道に戻すという目出度い舞いで、明治時代以降には天皇即位の際に「万歳楽」と共に奏されるのが例となっています。
衣装は赤・金で腰には刀、頭には鶏冠という姿で、一人ずつ登場し、途中で鉾を受け取ります。
最初は鉾を持って舞い、その後鉾を置き素手で舞い、最後は刀を抜いて舞います。
非常に長い舞いですが、しっかりと舞い切りました。
「納曾利(なそり)」は雌雄の龍を模した舞楽とされ、その面は下あごから突き出た牙が特徴です。
手には桴を持ち大きな動きで舞い、観客の目を引きつけました。
ちょうどこの頃時刻は17時を回り、仕事帰りの方々が徐々に増え、境内は一層賑やかになってきました。
「弓法楽(きゅうほうらく)」は青・銀系の衣装で頭は巻纓冠(けんえいかん)、手には弓矢を持って舞います。
舞楽中に実際に矢を放つ場面があり、四人の稚児が拝殿方向へ一斉に矢を放ちます。
この矢は縁起物とされ、放たれた矢を拾おうと観客が集まります。
今年は放たれた矢の一本が拝殿の萱葺き屋根に見事に刺さり、訪れた観衆を沸かせていました。
そろそろ舞楽も大詰めです。日も大分傾き、午前中降った雨のせいかかなり肌寒くなってきましたが、観客の興奮は高まるばかり。
「児抜頭(ちごばとう)」は稚児一人、「輪歌(りんが)」は稚児四人で舞われます。
どちらも高貴な紫色の衣装を纏い、頭は花天冠。「児抜頭」では手に中啓、「輪歌」では手に花束を持ちます。
この「児抜頭」が終わるといよいよ「陵王(りょうおう)」の登場です。
既に舞台の周りには沢山の見物客が訪れ、陵王の登場を待っています。
四人の稚児の内、三人が橋掛かりを越えると最後の一人は橋掛かりに待機し、一人舞い続けます。
境内からは歓声がどんどん高まってきます。その歓声もピークを迎えると、稚児と陵王が入れ替わり最後の舞「陵王」が始まります。
境内は一層沸き上がり、陵王の舞に目を奪われます。
深紅の衣装を纏い、面は頭部に龍を冠し、赤熊毛(しゃぐま)を付けた恐ろしい姿。
手には中啓を持って大きな動きでゆっくりと舞台へ進みます。
例年であればちょうど夕日をバックに舞う時刻ですが、今年は既に日没を迎えてしまいました。
舞台には明かりが灯され、幻想的な雰囲気の中「陵王」が舞われます。
獅子舞連中や白丁達、そして観客が榊を手に橋掛かりへ詰めかけ、榊をたたきつけながら舞台を盛り上げます。
舞台中央で舞っていた陵王はやがて橋掛かりに再び戻ります。
頃合いを見計らって裃姿の総代二名が迎え出るが陵王はまだ戻らない。
橋掛かりでは若衆が榊を叩きつけ歓声を上げる。
その周りでは観客も「まだだ!もう一舞い!」と陵王を引き留める。
境内の盛り上がりが最高潮を迎えると陵王に神が降り、総代に飛び込み舞台から姿を消した。
すぐに橋掛かりが外さると御旅所から御輿が担ぎ出され、拝殿へ向かって一気に走り抜ける「御旅帰り(おたびがえり)」が始まります。
三基の御輿が拝殿に担ぎ込まれ神様を拝殿へ帰し、装飾を外され空になった御輿を御旅所へ戻すため、再び拝殿から走り出てきます。
途中拝殿前と御旅所前で「ワッショイワッショイ」と御輿を持ち上げ、御旅所に返します。
橋掛かりでは肩車された稚児も「ワッショイワッショイ」と祭りの最後を見届けていました。
最高潮を迎えた祭りも三基の御輿が納められると「下向(げこう)の行列」で終焉を迎えます。
参加した若衆が行列を作り、法螺貝を吹きながら白山神社を後にします。
道中「いい祭りだったよ!」「お疲れ様!」などと声を掛けられると、疲れも吹っ飛ぶのか、皆さんいい笑顔で応えていました。
この祭りを境に田植えなどが本格的に始まり、また来年の大祭を楽しみに過ごすのです。
毎年4月24日に能生白山神社で行われる春季大祭。
能生地区に春の訪れを告げる重要な祭事として、室町時代から続けられる伝統行事です。
特に舞楽は「糸魚川・能生の舞楽」として天津神社けんか祭りと共に、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
今年は雨模様の天気となり、1日延期され4月25日に開催されました。雨天順延は10年ぶりとのことです。
この祭りは大きく分けて前日の「夕祭」、当日午前中に行われる「社参の行列」から「御輿のお走り」。そして午後の「舞楽」から「御旅帰り」に分かれます。
前日から「六社人」と呼ばれる神の使いは拝殿に寝泊まりし、境内からは一歩も出られません。また、お稚児さんと男親も社務所に泊まり、夕祭の神事に従事します。
夕祭では午後三時半に区民会館から神社へ登社する「夕祭の行列」、拝殿で行われる「宵宮祭」を行います。深夜には祭りで使われる法螺貝を渡す「貝渡し」。その後その法螺貝を吹く「一番貝」、「二番貝」と神事が続きます。
当日は区民会館から白山神社までの「社参の行列」からスタートします。残念ながら小雨模様のスタートとなってしまいました。
貝吹き役が吹く「三番貝」の合図で行列が進みます。その貝吹き役を先頭に大旗や道具持ちなどが続き、白丁に肩車された五人の稚児も続きます。
時々立ち止まっては法螺貝を吹き、また神社へ向かって歩き出します。
途中には祭りの華でもある屋台が軒を連ねていました。
境内では獅子舞連中が腕組みをし、社参の行列を迎えます。
お稚児さんや舞楽の面や小道具は舞台の橋がかりへ下ろされ、白丁は拝殿周辺で待機します。
その後、舞台では「御庭祓」の神事が執り行われます。小学校一年生1人、三年生4人のお稚児さんも神妙な面持ちでお祓いを受けます。
その間、「七度半の使い」という神事が行われます。楽屋から使徒が割竹を持った白丁に先導され、裸足・裃姿で拝殿まで出向き、六社人の一人「大部」に口上を述べます。
しかし社人は振り返り拝殿へ戻っていきます。
これを7回繰り返し、8回目。同じ仕草を繰り返し楽屋へ戻ると見せかけ、途中で拝殿へ戻ります。ここで獅子舞副頭の「ヤァー」の掛け声で拝殿奥の獅子が飛び出し、「御神嚮(ごじんこう)の打出し」が始まります
獅子と社人が黙礼をした後、獅子はまるで動いていないかのようにゆっくりと辺りを見渡す仕草をします。
時間が止まったかのような雰囲気の中、再び「ヤァー」の掛け声で獅子は更に飛び出し激しく舞い始めます。
その後ろに続いて三基の御輿が拝殿から続いて出てきます。続いて大旗、花竹、お稚児さんも肩車されて境内をゆっくりと練り歩きます。
この頃心配されていた雨はすっかり上がり、日が差してきました。
昨年中越沖地震で被災し、今年4月に再建された秋葉神社の裏で休憩を取りながら、2周ほど廻るといよいよ午前のクライマックス「お走り」が始まります。
境内をぐるっと取り囲むように御輿、獅子、お稚児さん、大旗などが定位置に付くとお走りの準備が始まります。
下駄を草鞋に履き替え、袴の丈はは詰められます。そして肩車されたお稚児さんも振り落とされないように付き人がしっかり支えます。
二人で舞っていた獅子は一人になり、頭を肩に抱えてこちらも準備万端。合図を待ちます。
秋葉神社の裏にいる三の御輿が低く構えると、後ろの御輿やお稚児さんもそれに合わせて準備します。
三の御輿の六社人「兵部」に神様が降りたときに走り出すのだそうです。
しかしなかなか走り出しません。観客からも「あぁー」とため息が漏れます。
しばらくこれを繰り返し、じらされた担ぎ手の興奮もピークに達した頃「ヤァー」の合図で三の御輿が走り始めました。
それに続いて後ろも一斉に走り出します。
1周回るとお稚児さんは橋がかりで降ろされ肩車され、「御旅所」へ納められる御輿を「ワッショイワッショイ」と煽ります。
あっという間に境内を走り終えた三基の御輿は無事に御旅所へ収められ、その後御輿にお供えをする「供神鐉(きょうしんせん)」と秋葉神社前での「黙礼の式」が行われます。
御旅所から拝殿までに橋が架けられ六社人がそれを渡り、三基分の酒や餅、鯛などを運び無事走り終えた御輿に供えます。
黙礼の式は六社人の大部が秋葉神社まで出向き、舞楽の開始を告げるものです。
大部が秋葉神社前に到着すると秋葉神社から楽人が出てきます。
ゆっくり階段に足を掛け見合うと阿吽の呼吸でお互いが振り返ります。
この時社人が早いと豊漁豊作、楽人が早いと商売繁盛と言われるそうです。
お互いが振り返ると周りからは「同時だ!」「うまい!」などと声が上がりました。どうやら豊漁豊作と商売繁盛が占われたようです。
これらの行事が終わるといよいよ舞楽が始まります。
祭りは動から静へと一転するのです。
「糸魚川けんかまつり」は4月10日の本祭りと11日の後祭りがあり、10日午前は勇壮な御輿のぶつけ合い、午後からは舞楽の奉納、11日午後にも舞楽の奉納が行われます。
10日は残念ながら午後の舞楽は中止となってしまいましたが、日が変わって11日。晴天とはいかないまでも、なんとか雨粒を我慢している様子。
ということで、午後1時より舞楽の奉納が行われました。
この天津神社舞楽は能生白山神社の舞楽と共に国の重要無形民俗文化財に指定されています。
起源は定かではありませんが、大阪四天王寺の舞楽に端を発しているとの説があります。
糸魚川の舞楽は「稚児の舞」などと呼ばれ、童舞がメインとなっています。四天王寺から伝承される経路でその姿を変え、糸魚川・能生の舞楽になったのではないかとされています。
舞台は昨日勇壮な御輿の競り合いが行われた場所と同じ、中央の舞台で行われます。
両側の桟敷はまだ残されていて、けんかまつりの主役を飾った担ぎ手達が、酒盛りをしながら舞楽を見物している他、大勢の一般客がその優雅な舞を見つめていました。
舞楽は振鉾(えんぶ)・安摩(あま)・鶏冠(けいかん)・抜頭(ばとう)・破魔弓(はまゆみ)・児納蘇利(ちごなそり)・能抜頭(のうばとう)・華籠(けこ)・大納蘇利(おおなそり)・太平楽(太平楽)・久宝楽(きゅうほうらく)・陵王(りょうおう)の全12曲が奉納されます。
まだ幼い稚児もしっかりと舞っていますが、時折見せるあどけない仕草に場内からは笑みがこぼれます。
また、稚児となって数年という子達は優雅に舞い切り、大きな拍手を受けていました。
途中、寺町・押上の学区を抱える糸魚川東小学校の児童達も学校授業の一環として見学に訪れ、関係者に舞楽について一所懸命質問していました。
大勢の児童達も加わって、天津神社の境内はは一層賑やかになります。
時折小雨が降ったり止んだりでいまいちはっきりしない天候。本来ならば途中で休憩を挟むのですが、何時降り出すか分からない雨を懸念して、休憩を挟まずに演舞が続けられました。
舞楽は稚児だけではありません。中学生と大人が舞う舞楽もあります。
稚児の舞いとは様相が違い動きも大きく、迫力も出てきます。
大きな動きがある度に「おお!」と場内は盛り上がりを見せ、沢山のカメラマン達はその動きをカメラで追ってはしきりにシャッターを切っていました。
舞楽も大詰めを迎える頃、少し雨脚が強まってきました。
舞楽の大取は「陵王」。その昔、中国の蘭陵王が恐ろしい面を付け、敵をなぎ倒したという故事を模った舞いとなっており、その動きも「静」と「動」が折り合った迫力ある舞いです。
この舞いを観ようと、再び降り出した雨にもかかわらず、舞台の正面に沢山の人が集まってきました。
桟敷で酒盛りをしていた昨日の主役達も下りてきて舞台の前に集まり、大きな声援を送ります。
陵王が姿を現すと大きな拍手と歓声が沸き上がり、その動きに魅了されます。
舞台中央までゆっくりと移動し、辺りを見回しながらゆっくりと廻っては、敵の攻撃をかわすかのように右へ左へ大きく飛び跳ねます。
そして舞台中央で陵王が天高く飛び上がると観客からは「おお!」「いいぞ!」などの歓声と大きな拍手が上がります。
そしてまたゆっくりとした動きで廻っては大きな身振りで観衆を沸かせます。
およそ30分にわたる陵王の舞いが終わると「もっと飛べ!」「もう一回出てこい!」等の声も上がっていました。
そしてこの舞いが終わると糸魚川では徐々に田植えが始まり、いつもの糸魚川に戻っていきます。
毎年4月10日と11日に糸魚川の天津神社に奉納される祭りが「糸魚川けんかまつり」です。
寺町地区と押上地区に分かれた2基の御輿をぶつけ合い、境内を走り回る勇壮な祭りとして有名です。
また、重要無形民俗文化財にも指定されている舞楽も10日と11日に奉納されます。
こちらは勇壮なけんか御輿とは逆に、穏やかで優雅な舞楽となっています。
今年は残念ながら雨のお祭りとなってしまいましたが、両日とも大勢の観客で賑わいました。
10日午前6時前。寺町・押上各地区の公民館に若衆が集まり、けんかまつりの準備がスタートします。
まずは祭りの主役である担ぎ手を清めるため、褌姿になって雪融け水が流れ込む早春の日本海に飛び込み禊ぎを行います。
同じ頃、天津神社では既に御輿堂から出された2基の御輿が舞台に静置され、両地区の若衆が来るのを静かに待っています。
境内には拝殿正面に舞楽の舞台、その両側に桟敷席が設けられ、数時間後には祭りの主役達と共に多くの観客で埋め尽くされます。
この頃はまだ雨も当たらず薄曇りの状態でしたが・・・
午前10時、赤い法被の押上地区の若衆が天津神社に到着しました。
鳥居をくぐると一旦待機し、2体の使い獅子が境内にある舞台まで伝令に走ります。
神社への入場が許可されると、使い獅子は若衆の元へ戻り、いよいよ入場となります。
獅子たちに次いで葉付の竹、鳥爺、白丁、法被の若衆がぞろぞろと拝殿へ向かい参拝した押上の若衆は自陣の桟敷で待機します。
程なく緑色の法被の寺町地区の若衆も到着し、同じように伝令の使い獅子が許可をもらいにやってきました。
両陣営が揃うと白丁が舞台へ御輿を受け取りに集まります。
1基300kg程もある御輿を受け取ると、境内を練り歩く「お練り」が始まります。
露払いの鳥爺を先頭に御輿が続き、きれいに白塗りされた稚児も肩に担がれて一緒に練り歩きます。
この頃から雨が当たり始め、お稚児さんは傘をさしてのお練りとなってしまいました。
境内をゆっくりと1周半練り歩き、お稚児さんと面箱を舞台にあげると、いよいよけんかまつりの準備が整います。
引き手、担ぎ手にも気合いが入り、大きな声が飛び交います
それを見守る観客からも「頑張れ!」「向こうに負けるな!!」といった声援も掛かり、境内は一気に緊張感が高まります!
法螺貝と太鼓の合図と共にいよいよ御輿のけんかがスタートしました。
雨で地面がぬかるみ足場の悪い中を300kgもの御輿を引っ張り、担ぎ、ものすごいスピードで疾走します。
そして頃合い良しとみるや、2基の御輿が向かい合い、がっぷりと組み合います。
およそ7、80人程の若衆が御輿を押し合い、御輿の軋む音が辺りに響き渡る。
力の均衡が崩れるとがっぷり組んだ御輿は右に左にうねりだし、桟敷まで突っ込みそうな勢い。
ひとしきり押し合うと御輿が離され、また勢いよく走り出します。
そしてまた場所を変えては御輿をぶつけ、押し合います。その度に御輿は壊れ、辺りに破片が散らばります。
雨脚も一段とひどくなり、両陣営とも泥だらけになりながら8回も御輿をぶつけ、疲労困憊した体からは汗が湯気のように立ち上っていました。
最後は両陣営定位置に付き、合図と共に一斉に走り、拝殿に御輿を戻します。
この時、一の御輿が拝殿に上げるところを二の御輿に見られると二の御輿の勝ち。見られなければ一の御輿の勝ちとなりますが、どちらが勝ったという発表はなく、観ている者、参加している者の判断にゆだねられます。
太鼓の合図と共に両陣営が一斉に走り出し、境内を一周します。
両陣営とも最後の力を振り絞って全力で走り、無事に拝殿に御輿を納めました。
拝殿に御輿を納めるとそれぞれ自陣の桟敷に戻り、お互いの桟敷に向かって「ワッショイワッショイ」と声を上げ、勝ち鬨をあげていました。
晴れた日であればこの後は舞楽の奉納となるのですが、今年は降雨のため中止となりました。翌日の後祭りで同じ舞楽が奉納されます。
この祭りを境に糸魚川はめっきり春めいてきます。
