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雨のため一日延期となった今年の「能生 白山神社 春季大祭」
心配されていた雨もお走り前にはすっかりと上がり、1時間半ほどの遅れはあるものの祭りは午後の舞楽へと移ります。
前編でも記載したとおり、この舞楽は糸魚川けんか祭りの舞楽と同様、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
起源は定かではありませんが、室町時代から続く歴史有る舞楽とされています。
大阪四天王寺の舞楽に通じるものとされていて、この地に伝来する課程でその姿を変えたのではないかとされています。
舞楽は五人の稚児、四人の大人、そして楽人で構成され、全部で十一曲の舞楽が奉納されます。
特に稚児の舞いが八曲を占め、この日のために神社社務所で共同生活をしながら練習を重ねてきました。
舞台は境内中央、秋葉神社の向かいに正面を置き、お走りで御輿が納められた御旅所へと橋が架けられています。
舞人たちはこの橋を渡り中央の舞台でその舞いを披露します。
太鼓の打ち出しと共に14時45分頃に舞楽がスタートしました。
まずは稚児2人による「振舞(えんぶ)」。1人ずつ登場し、橋で鉾を受け取りゆっくりとした舞いで舞台中央へ進みます。
舞台の初を務めるこの舞いは、舞台のお祓いの意味も込められています。
紅白の衣装で頭には花冠を付けて舞われます。
その後「候礼(そうらい)」「童羅利(どうらり)」「地久(ちきゅう)」と稚児の舞いが続き、「能抜頭(のうばとう)」で初めて大人の舞人が登場します。
赤と黒の衣装で手には桴を持ち、顎髭をたくわえた赤い面を付けて舞います。
手に持つ桴(ばい)は武器を象徴しており、胡人が猛獣に噛まれ、その子が猛獣を探し求め、これを殺す型の舞いと言われています。
大きな動きで振る舞い、途中桴を置いて素手で舞う場面もあります。
続いては「太平楽(たいへいらく)」「納曾利(なそり)」。
「太平楽」は稚児四人で舞い、世の中の乱を治め、正しき道に戻すという目出度い舞いで、明治時代以降には天皇即位の際に「万歳楽」と共に奏されるのが例となっています。
衣装は赤・金で腰には刀、頭には鶏冠という姿で、一人ずつ登場し、途中で鉾を受け取ります。
最初は鉾を持って舞い、その後鉾を置き素手で舞い、最後は刀を抜いて舞います。
非常に長い舞いですが、しっかりと舞い切りました。
「納曾利(なそり)」は雌雄の龍を模した舞楽とされ、その面は下あごから突き出た牙が特徴です。
手には桴を持ち大きな動きで舞い、観客の目を引きつけました。
ちょうどこの頃時刻は17時を回り、仕事帰りの方々が徐々に増え、境内は一層賑やかになってきました。
「弓法楽(きゅうほうらく)」は青・銀系の衣装で頭は巻纓冠(けんえいかん)、手には弓矢を持って舞います。
舞楽中に実際に矢を放つ場面があり、四人の稚児が拝殿方向へ一斉に矢を放ちます。
この矢は縁起物とされ、放たれた矢を拾おうと観客が集まります。
今年は放たれた矢の一本が拝殿の萱葺き屋根に見事に刺さり、訪れた観衆を沸かせていました。
そろそろ舞楽も大詰めです。日も大分傾き、午前中降った雨のせいかかなり肌寒くなってきましたが、観客の興奮は高まるばかり。
「児抜頭(ちごばとう)」は稚児一人、「輪歌(りんが)」は稚児四人で舞われます。
どちらも高貴な紫色の衣装を纏い、頭は花天冠。「児抜頭」では手に中啓、「輪歌」では手に花束を持ちます。
この「児抜頭」が終わるといよいよ「陵王(りょうおう)」の登場です。
既に舞台の周りには沢山の見物客が訪れ、陵王の登場を待っています。
四人の稚児の内、三人が橋掛かりを越えると最後の一人は橋掛かりに待機し、一人舞い続けます。
境内からは歓声がどんどん高まってきます。その歓声もピークを迎えると、稚児と陵王が入れ替わり最後の舞「陵王」が始まります。
境内は一層沸き上がり、陵王の舞に目を奪われます。
深紅の衣装を纏い、面は頭部に龍を冠し、赤熊毛(しゃぐま)を付けた恐ろしい姿。
手には中啓を持って大きな動きでゆっくりと舞台へ進みます。
例年であればちょうど夕日をバックに舞う時刻ですが、今年は既に日没を迎えてしまいました。
舞台には明かりが灯され、幻想的な雰囲気の中「陵王」が舞われます。
獅子舞連中や白丁達、そして観客が榊を手に橋掛かりへ詰めかけ、榊をたたきつけながら舞台を盛り上げます。
舞台中央で舞っていた陵王はやがて橋掛かりに再び戻ります。
頃合いを見計らって裃姿の総代二名が迎え出るが陵王はまだ戻らない。
橋掛かりでは若衆が榊を叩きつけ歓声を上げる。
その周りでは観客も「まだだ!もう一舞い!」と陵王を引き留める。
境内の盛り上がりが最高潮を迎えると陵王に神が降り、総代に飛び込み舞台から姿を消した。
すぐに橋掛かりが外さると御旅所から御輿が担ぎ出され、拝殿へ向かって一気に走り抜ける「御旅帰り(おたびがえり)」が始まります。
三基の御輿が拝殿に担ぎ込まれ神様を拝殿へ帰し、装飾を外され空になった御輿を御旅所へ戻すため、再び拝殿から走り出てきます。
途中拝殿前と御旅所前で「ワッショイワッショイ」と御輿を持ち上げ、御旅所に返します。
橋掛かりでは肩車された稚児も「ワッショイワッショイ」と祭りの最後を見届けていました。
最高潮を迎えた祭りも三基の御輿が納められると「下向(げこう)の行列」で終焉を迎えます。
参加した若衆が行列を作り、法螺貝を吹きながら白山神社を後にします。
道中「いい祭りだったよ!」「お疲れ様!」などと声を掛けられると、疲れも吹っ飛ぶのか、皆さんいい笑顔で応えていました。
この祭りを境に田植えなどが本格的に始まり、また来年の大祭を楽しみに過ごすのです。
毎年4月24日に能生白山神社で行われる春季大祭。
能生地区に春の訪れを告げる重要な祭事として、室町時代から続けられる伝統行事です。
特に舞楽は「糸魚川・能生の舞楽」として天津神社けんか祭りと共に、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
今年は雨模様の天気となり、1日延期され4月25日に開催されました。雨天順延は10年ぶりとのことです。
この祭りは大きく分けて前日の「夕祭」、当日午前中に行われる「社参の行列」から「御輿のお走り」。そして午後の「舞楽」から「御旅帰り」に分かれます。
前日から「六社人」と呼ばれる神の使いは拝殿に寝泊まりし、境内からは一歩も出られません。また、お稚児さんと男親も社務所に泊まり、夕祭の神事に従事します。
夕祭では午後三時半に区民会館から神社へ登社する「夕祭の行列」、拝殿で行われる「宵宮祭」を行います。深夜には祭りで使われる法螺貝を渡す「貝渡し」。その後その法螺貝を吹く「一番貝」、「二番貝」と神事が続きます。
当日は区民会館から白山神社までの「社参の行列」からスタートします。残念ながら小雨模様のスタートとなってしまいました。
貝吹き役が吹く「三番貝」の合図で行列が進みます。その貝吹き役を先頭に大旗や道具持ちなどが続き、白丁に肩車された五人の稚児も続きます。
時々立ち止まっては法螺貝を吹き、また神社へ向かって歩き出します。
途中には祭りの華でもある屋台が軒を連ねていました。
境内では獅子舞連中が腕組みをし、社参の行列を迎えます。
お稚児さんや舞楽の面や小道具は舞台の橋がかりへ下ろされ、白丁は拝殿周辺で待機します。
その後、舞台では「御庭祓」の神事が執り行われます。小学校一年生1人、三年生4人のお稚児さんも神妙な面持ちでお祓いを受けます。
その間、「七度半の使い」という神事が行われます。楽屋から使徒が割竹を持った白丁に先導され、裸足・裃姿で拝殿まで出向き、六社人の一人「大部」に口上を述べます。
しかし社人は振り返り拝殿へ戻っていきます。
これを7回繰り返し、8回目。同じ仕草を繰り返し楽屋へ戻ると見せかけ、途中で拝殿へ戻ります。ここで獅子舞副頭の「ヤァー」の掛け声で拝殿奥の獅子が飛び出し、「御神嚮(ごじんこう)の打出し」が始まります
獅子と社人が黙礼をした後、獅子はまるで動いていないかのようにゆっくりと辺りを見渡す仕草をします。
時間が止まったかのような雰囲気の中、再び「ヤァー」の掛け声で獅子は更に飛び出し激しく舞い始めます。
その後ろに続いて三基の御輿が拝殿から続いて出てきます。続いて大旗、花竹、お稚児さんも肩車されて境内をゆっくりと練り歩きます。
この頃心配されていた雨はすっかり上がり、日が差してきました。
昨年中越沖地震で被災し、今年4月に再建された秋葉神社の裏で休憩を取りながら、2周ほど廻るといよいよ午前のクライマックス「お走り」が始まります。
境内をぐるっと取り囲むように御輿、獅子、お稚児さん、大旗などが定位置に付くとお走りの準備が始まります。
下駄を草鞋に履き替え、袴の丈はは詰められます。そして肩車されたお稚児さんも振り落とされないように付き人がしっかり支えます。
二人で舞っていた獅子は一人になり、頭を肩に抱えてこちらも準備万端。合図を待ちます。
秋葉神社の裏にいる三の御輿が低く構えると、後ろの御輿やお稚児さんもそれに合わせて準備します。
三の御輿の六社人「兵部」に神様が降りたときに走り出すのだそうです。
しかしなかなか走り出しません。観客からも「あぁー」とため息が漏れます。
しばらくこれを繰り返し、じらされた担ぎ手の興奮もピークに達した頃「ヤァー」の合図で三の御輿が走り始めました。
それに続いて後ろも一斉に走り出します。
1周回るとお稚児さんは橋がかりで降ろされ肩車され、「御旅所」へ納められる御輿を「ワッショイワッショイ」と煽ります。
あっという間に境内を走り終えた三基の御輿は無事に御旅所へ収められ、その後御輿にお供えをする「供神鐉(きょうしんせん)」と秋葉神社前での「黙礼の式」が行われます。
御旅所から拝殿までに橋が架けられ六社人がそれを渡り、三基分の酒や餅、鯛などを運び無事走り終えた御輿に供えます。
黙礼の式は六社人の大部が秋葉神社まで出向き、舞楽の開始を告げるものです。
大部が秋葉神社前に到着すると秋葉神社から楽人が出てきます。
ゆっくり階段に足を掛け見合うと阿吽の呼吸でお互いが振り返ります。
この時社人が早いと豊漁豊作、楽人が早いと商売繁盛と言われるそうです。
お互いが振り返ると周りからは「同時だ!」「うまい!」などと声が上がりました。どうやら豊漁豊作と商売繁盛が占われたようです。
これらの行事が終わるといよいよ舞楽が始まります。
祭りは動から静へと一転するのです。
3月14日のホワイトデーに、能生のマリンドリームにあるマリンホールで公演された狂言「姫の聟取り」を観劇してきました。
狂言というとどうも堅苦しく感じてしまいがちですが(私もその一人です)、実際はそんなことなく楽しむことができました。
以前のエントリ にも書きましたが出演の茂山家の方々は、誰でも気軽に楽しんでもらえる「お豆腐狂言」をモットーとしています。
そのためか、演目に入る前の前説でも丁寧に、そして楽しく狂言の楽しみ方を教えてくれました。
演目の「蝸牛」と「附子」も古くから伝わる古典狂言で、国語の授業で習った方も多いはず。
太郎冠者と二郎冠者のとぼけたやりとりに、会場から大きな笑い声が上がっていました。
また、新作のオリジナル狂言「姫の聟取り」はこの地にちなんだ「奴奈川姫の伝説」をモチーフにした狂言で、こちらも地元の人には慣れ親しんだお話をコミカルに描いています。
このオリジナル狂言。市民会館の担当者のお話では、来年の開催にはまた新しい奴奈川姫の伝説を、再来年にももう1作と、3年計画で3本のオリジナル狂言を制作し、奴奈川狂言だけで1公演できるようにしたいのだそうです。
糸魚川の伝説を狂言で語り継がれるのもまたおもしろそうですね!
この『茂山千五郎家』は親しみやすい狂言という意味で『お豆腐狂言』と呼ばれているそうです。
なぜお豆腐なのか???
その昔、狂言が一部の上流階級だけの娯楽であった頃、能舞台以外では狂言を演じてはいけないとされていました。
ところが、茂山家の二世 千作氏は、結婚式や祝いの席に出向いては狂言を演じていたとか。
そのうち仲間からは 「どこにでも出向いて軽々しく狂言をするお豆腐のような奴」と悪口を言われたそうです。
京都ではおかずに困ったら「お豆腐にでもしとこか」という習慣があり、それになぞらえてついた呼び名が『お豆腐狂言』です。
しかし二世 千作氏は「お豆腐で結構!それ自体高価でも上等でもないが、味付けによって高級な味にもなれば庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんなところでも喜んでもらえる狂言を演じればよい。よりおいしいお豆腐になるよう努力すればよい」と悪口を逆手にとったとのこと。
この教えは現在も守られ 「誰にでも親しまれる狂言」 を目指して、全国各地で、時には海外でも公演されているのだそうです。
そして今回糸魚川での公演は、大蔵流 茂山家の全面協力の基、この地に伝わる奴奈川姫の伝説を『姫の聟(むこ)取り』としてオリジナル制作していただきました!
演目はこの『姫の聟取り』の他にも 『蝸牛(かぎゅう)』と『附子(ぶす)』を演じていただきます!
なにより大ホールでは味わえない小ホールならではの間近で観る臨場感を是非味わっていただきたいと思います。
お豆腐狂言 大蔵流 茂山千五郎家HP
お問い合わせ
糸魚川市民会館 025-552-5900
詳細な情報は こちら からご確認いただけます
最近日本海側沿岸で話題になっている「ハングル文字が記されたポリタンク」ですが、17日に我が糸魚川でも漂着が確認されました。
漂着が確認されたのは糸魚川地域 間脇海岸、能生地域 鬼舞海岸、浜木浦海岸、能生海岸、百川海岸、藤崎海岸、筒石海岸で、県内だけでも500個以上の漂着が確認されていて、今後も漂着が続く可能性があります。
内容物は強酸性の液体で有毒な物も含まれている可能性がありますので、発見した方は絶対に触らず、市役所市民課環境対策室までご連絡して下さい。
市民課 環境対策室
Tel 025-552-1511 Fax 025-552-8292
冬の糸魚川を代表する味覚といえば?
と聞かれると多分糸魚川をよく知る人なら「あんこう!」と答えてくれると思います。なんでもこの時期のあんこうは産卵のためにたくさん栄養を蓄え、さらに美味しさを増すんだそうです。
10kgクラスだと数万円にもなる高級魚となってしまったあんこうですが、今糸魚川では「荒波あんこうまつり」が開催されていて、リーズナブルに楽しめてしまいます。
1月21日は糸魚川会場、1月27日は能生会場でそれぞれ行われたこのあんこうイベント。
今度の2月3日は青海会場「道の駅親不知ピアパーク」さんにて10時から開催されます。
会場ではあんこうの吊し切りを公開するほか、「あんこう目方でドン!」などのイベントも行われます。
ピッタリ目方を当てた方には豪華景品も用意されていると言うことですので、是非参加してみて下さい。
糸魚川で行われた荒波あんこう祭りはメイドイン糸魚川でも紹介していますので、こちらもご覧下さい!
糸魚川市の無形民俗文化財に指定され、六尺褌の男衆が厄年の方を捕まえ、天井高く胴上げをする勇壮な小正月行事です。
地元氏子の他、多くの見物客がこの稀祭を見に訪れる名物行事となっています。
祭壇周辺には沢山の小銭が散らばり、宮司さんや近くの人がそれを集めて賽銭箱に戻します。
程なく別座敷より「メッケター(見つけたの意)」と叫ぶ二人の男衆に担がれた厄年の男性が登場します。
勢いよく連れてこられた男性は褌姿の男衆によりあっという間に担ぎ上げられ、「サッシャゲー サッシャゲー(差し上げの意か?)」という威勢の良い掛け声と共に大の字のまま堂内を練り歩かれます。
大の字のまま手足の服をつかまれ、音頭取りによって中央で上げられるように位置の調整をし、低い位置に構えられます。
男衆の足下にはうずくまって台になっている方もいました。さあ、いよいよ胴上げです。
天井は放り上げられる場所だけ板の色が違っていて、天井にぶつかるほど高く放り上げられることが伺えます。
放り上げた男性をしっかり受け止めると再度担ぎ上げ、「サッシャゲー サッシャゲー」の掛け声と共に再び堂内を回り始めます。
上記を繰り返し3回放り上げられると厄が落ち、やっと解放された男性は中央で杯に御神酒をいただいて終了となります。
担ぎ手の男衆も御神酒を飲み休みます。先程放り上げられた男性はここで褌姿になり、今度は担ぎ手として加わりました。
厄年の人を見つける度にこの神事が繰り返されます。
最初は寒かった堂内もこの神事の熱気で暖かくなり、褌姿の担ぎ手も皆汗をかいていました。
そしてまた、奥の座敷から大きな声が発せられます。
「メッケター!」
能生白山神社本殿は国の重要文化財でもあり、毎年4月24日に行われる春季大祭で奉納される舞楽もまた重要無形民俗文化財に指定されているほか、多数の文化財を保有する由緒ある神社です。
この白山神社で毎年1月14日と15日に行われる「献灯祭 お筒粥の神事」をご紹介します。
奉納されるろうそくには地元能生の企業や団体または氏子さんの名が記され、それぞれがこの拝殿に奉納し今年一年の五穀豊穣や商売繁盛、家内安全を祈念し点灯します。
午後6時前の段階ではまだ1本しかろうそくは点灯されていませんでしたが、徐々に増え午後9時頃にはほとんどのろうそくに火が灯されます。
この献灯祭は日をまたいで12時過ぎ頃まで灯され続け、その間に多くの参拝客が入れ替わり訪れ、拝殿に手を合わせてはそろそろと帰って行きます。
今年一年の五穀豊穣を占うもので、石臼でひいた米を葦の茎と一緒に煮て、葦の茎に詰まる米で占います。
長さの違う3本の葦で「早稲」「中稲」「晩稲」に分けられ、それぞれの時期に収穫される米の作況を指しています。
お筒粥の神事は神社が占いの内容を発表するものではなく、参拝に訪れた方々の見た目でそれぞれが判断するものなのだそうです。
さて、今年の作況はどうでしょうか?
